本蔵の風格(登録有形文化財)

迫力の大規模空間

 本蔵は明治28年、当時の相澤酒造が明治中期から大正期にかけて次々と施設整備したうちの一つです。

 切妻、瓦葺、2階建ての大規模な醸造用の蔵で、梁間6間・桁行17間、三方に3間幅の下屋を備えています。1階は約790㎡、2階は約170㎡で大規模空間を支える中央2列、合計10本の1階から伸びる通し柱は、およそ300mm角の大断面を有し、大きな存在感を放っています。
 まだ重機等の建築機器がないであろう明治時代にどのように棟上げしたのか、道路事情も悪い中、どうやって建材を運んであろうかなど、想像は尽きません。

 現在展示スペースとなっている下屋及び多目的ホールとして活用している1階には醸造に使われる6000ℓ~8000ℓ級のタンク40基以上が並べられていました。

 現在は当時の風景模したタンクが空調システムの一部として残されています。またタンクの木製蓋は主屋の床材として生まれ変わりました。

 この本蔵の梁は落葉松(からまつ)が使用されています。落葉松は在来種で唯一の落葉針葉樹で材質は硬く、腐りにくい特徴を有しますが、乾燥することによってねじれてしまうので本来建築材としては敬遠されがちな材料です。しかしながら醸造所として多くの水を使い、常に湿潤な空気である本蔵の環境には最適な木材の一つであり、この性質を知っていた先人たちの知識に驚かされます。

 2階では地棟下面に墨書きを見ることができます。ここには

明治廿八乙未歳七月 相澤子之吉建之 干時二十七年九ヶ月
   前川啓蔵
棟梁 山中米吉
   鈴木勘蔵

と記されており、明治28年(1895)7月、当主・相澤子之吉氏が27歳9ヶ月の時に上棟した建物であることがわかります。

 また床には大小二種類の丸い穴に蓋がはめ込まれており、醸造初期は2階の床上から階下の醸造樽に棒状の道具を差し込んで攪拌等の作業を行っていたのではないかと思われます。

 明治時代に建てられ、大正、昭和、平成、令和と時を超えてきた本蔵。
 主屋と共に大正12年の関東大震災、平成23年の東日本大震災と2度の大きな地震を乗り越えた建物には底知れぬ風格を感じざるを得ません。